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韓国ドラマ『悪人伝記』

-怪物の心をのぞき込む時…、『悪人伝記』が描く、善と悪の境界線

実は、厄介な人がいるんです
暴力的で、無慈悲で、理解不能なほど短絡的です
他人を敬う気持ちは一切ありません
化け物みたいなヤツで、永遠にそいつの支配から逃れられないかも

引用元:『悪人伝記』第3話より

真面目に生きてきた人間は、一体どこで一線を越えてしまうのか――。
韓国ドラマ『悪人伝記』は、落ちぶれた弁護士と半グレ組織のNo.2という対極の二人が共鳴し、ともに闇へと堕ちていく姿を描いた極上のサスペンスです。深掘りします。
※一部ネタバレを含みます。

あらすじ

過去の問題で懲戒処分になり、弁護士として復帰半年になるハン・ドンス(シン・ハギュン)。拘置所や刑務所に顔を出しては誰にでも弁護の営業をする「ハン弁」として、囚人からも馬鹿にされる存在でした。

ある日、弟の友人から紹介された依頼人が、ソ・ドヨン(キム・ヨングァン)でした。彼は19年前、韓国初の大リーガーとも言われた高校野球のエースでしたが、決勝戦で誤審をした審判に暴力を振るい、野球界から追放されます。今では暴力団組織ユソン派のナンバー2という立場です。

もうすぐ出所するドヨンからの仕事を引き受けたことで、ドンスの人生は少しずつ、しかし後戻りできないほど大きく変わっていきます。

ドラマの中のセリフから

第1話 - 支配の始まり

弟から紹介された依頼で、刑務所の面会室を初めて訪れるドンス。現れたドヨンは、手にしていた野球ボールを壁に打ちつけ、そこに残った一匹の蝿の死骸を拾い上げながら、開口一番こう言い放ちます。
ハエは大嫌いだ
営業スマイルで用件を尋ねようとするドンスに対し、ドヨンは仕事の話には応じず、代わりにドンスの経歴や境遇を見透かすように話し始めます。危機感を覚えたドンスは依頼を断ろうとしますが、ドヨンは静かにこう返します。
一線……踏むべき一線? 底辺を知らないのか
この短いやり取りに、ドヨンという人物の異様さが凝縮されていると感じます。相手の一線をあっさり踏み越えてくる会話の運び方、こちらの動揺を楽しむような間の取り方。この時点で、ドンスがすでに逃れがたい何かに巻き込まれ始めていることが伝わってきます。

第3話 - 逃げ道が消える瞬間

なりゆきで殺人の共犯者になってしまったドンスは、弁護士としての使命感と、いつか自分も消されるかもしれないという恐怖の間で揺れ動きます。意を決して警察署に向かいますが、ドヨンからの電話一本で、その決意はあっけなく折れてしまいます。

その帰り道、接触事故を起こしかけた相手が、偶然にも同じ団地に越してきた刑事、マ・チョルジンでした。子どもの送り迎えで顔を合わせるようになった二人。コンビニで一息つく中、チョルジンは職業柄、ドンスが警察署に来た理由を鋭く尋ねます。「実は、厄介な人がいるんです……」とドンスが絞り出すように語る冒頭のセリフは、まさにこの場面のものです。

本音を語りかけながらも、最後は「騒音問題で」と笑ってごまかしてしまうドンス。誰かに助けを求めかけて、結局は一人で抱え込んでしまう。この往復こそが、彼の弱さであり、同時に物語の緊張感を生んでいるように思います。

第6話 - 共犯者としての自覚

ドヨンの顧問弁護士という立場に落ち着き、自分が提案したネット賭博も軌道に乗り、あとは引き継いで海外へ逃げるつもりだったドンス。禁煙していたはずが、思わずタバコを買ってしまったところに、再びチョルジンが通りかかります。

自身も禁煙中だというチョルジンと言葉を交わす中で、ドンスは「知り合いが宝くじに当選した」という架空めいた話を持ち出し、自分の空虚さを遠回しに語ります。それに対しチョルジンは、犯罪収益を没収するたびに感じる虚しさ――簡単に稼ぐ者がいる一方で、社会を支えているのは地道に働く人々なのだという実感―を静かに語り返します。

直接的な告白は何一つ交わされないのに、二人の会話は互いの内面に触れ合っている。この「言わないことで伝わる」演出の巧みさに、このドラマの脚本の力を感じました。

第10話 - 境界線の提示

事件から3年後、邪魔なものを排除し続け、もはや後戻りできない生活を送るドンス。転がり落ちてきた野球ボールを拾いながら、ドヨンが静かに語りかけます。
怪物と戦う者は、己が怪物にならぬよう気をつけろ。怪物の心をのぞき込む時、その怪物もお前を見ている
これはニーチェ『善悪の彼岸』の一節です。語り終えたドヨンは、いつもの不遜な笑みを浮かべながら、ボールをドンスに向けて転がして返します。ボールは、二人のちょうど中間で止まる。この演出そのものが、善と悪の境界線という本作のテーマを視覚的に表しているようで、印象に残るシーンでした。

【感想】一匹の蝿にみる二人の「悪人」の深層心理

ドヨンの愛人を監視する仕事を引き受け、多額の報酬に動揺しながらも依頼を断ろうとしていたドンス。しかし、認知症で施設に入居中の母親が起こした火災の賠償金をめぐり、スーパーでパートをする妻が店長から金を借りていたこと、さらにセクハラを受けていたことを知ります。店長を告訴しようとすると、逆に「弁護士の妻がなぜパートに出ているのか」と、夫婦そろって詐欺師呼ばわりされてしまいます。

怒りを抱えたまま乗り込んだ車中で、ドンスは一匹の蝿に気づき、手で握りつぶしてドアガラスに擦りつけます。そして再び店に戻り、ドヨンから受け取った報酬を店長にぶちまけます。頭の中に浮かぶのは、ドヨンがかつて口にした「やってみると簡単だぞ。興奮するし優越感に浸れる」という言葉。その言葉に突き動かされるように、ドンスはゴルフのドライバーで事務所の机を粉々にします。

気弱で人が良かったはずのドンスと、コミカルにさえ見えた弟ボムジェ。二人の兄弟の姿は、ドヨンとの関係に悩む時期を境に少しずつ変わっていきます。その変化は、第3話・第6話でチョルジンに語るドンスの言葉の端々に、静かに、しかし確実に表れています。

ドヨンがボスから高級車を受け取ったように、ドンスもまた、最初は目の前の金銭的な問題を解決するために悪の世界へ足を踏み入れました。弁護士としての正義感や信念が、少しずつ金銭欲や出世欲に蝕まれていく過程は、このドラマが描く重要なテーマの一つです。

二人は全く異なる立場から物語を始めながら、最終的には金と権力という同じ誘惑に絡め取られ、悲劇的な結末へと向かっていく。対照的でありながら、同じ道を辿ってしまうという構造そのものに、このドラマの怖さがあるように思います。

ソ・ドヨンは、元野球選手としての挫折や組織内での裏切りの経験が、彼の冷酷さと頂点への執念を形作っています。自分を裏切った者、邪魔をする者には一切の容赦がありません。

一方のハン・ドンスも、かつては正義を信じていた弁護士でありながら、上司ムン・サングクによって立場と信頼を裏切られる経験をします。ソ・ドヨンによって人生を大きく狂わされていく中で、彼もまた「裏切りへの復讐」という感情に突き動かされていくのは、ある意味で自然な流れだったのかもしれません。

金銭欲や権力欲だけでなく、「裏切りへの復讐」という感情もまた、二人の行動を後押しする原動力になっていると言えます。

ドヨンの冷酷さと無慈悲さは、結果として彼自身の破滅を招きます。トップを目指す野心と、それを実現するために手段を選ばない行動が、彼をさらなる深みへと引きずり込み、最終的には抗争の犠牲となる。その最期は、彼という「絶対的な悪人」のキャラクター性を、より強く印象づけるものでした。

ドヨンが最後に口にしたニーチェの言葉のあと、いつものように不遜な笑いを浮かべ、静かにドンスに向けてボールを転げて返すのでした。ボールが二人のちょうど中間で止まる場面は、まさに善と悪の境界線そのものを象徴しているように感じられました。

心を寄せていた弟(結果的に自分が手にかけたに等しい)や、心を通わせかけていた刑事を無残に手にかけ、自分の母親を殺した組織のボスとまで結託していくドンス。人間性から離れていく彼の行動の果てに、ドヨンを手にかけたあと、彼は自らの頭に銃を向けます。その発砲音は、彼の過去との決別というより、「本来の彼」に戻る希望よりも、組織で刻んだ「闇の弁護士」としての経験がもたらした、二度と元には戻れない複雑な人間性の始まりを表しているようにも感じます。

この物語の背景には、かつて韓国社会を大きく揺るがした「バーニング・サン事件(2019年)」など、警察と権力の癒着や腐敗といった実在のスキャンダルから着想を得ているとも言われています。登場人物たちの葛藤に重みがあるのは、現実に起きた事件の影が投影されているからかもしれません。そう思うと、劇中のセリフの一つひとつが、また違った響きで心に残ります。

補足になりますが、ニーチェの「怪物をのぞき込む者は」という言葉は、韓国ドラマ『悪の心を読む者たち』でも引用されています。あちらのドラマでは、怪物を理解することで事件を防ごうとする人間が描かれていますが、『悪人伝記』は、理解することそのものが「一線を越える行為」になり得ることを示しているように思えます。

※「バーニング・サン事件」…芸能界・政財界を巻き込む大スキャンダルに発展した事件。2024年にはBBCがこの事件のドキュメンタリーを公開し、世界中で再び大きな注目を集めました。

作品概要/キャスト

作品概要
公開年:2020年(全10話)
放送局:ENA
原 題:악인전기 (アクインジョンギ)
キャスト

役  名キャスト
ハン・ドンスシン・ハギュン
ソ・ドヨンキム・ヨングァン
ハン・ボムジェ(ドンスの異母弟)シン・ジェハ
ヘヨン(ドンスの妻)チェ・ジョンイン
ムン・サングク法律事務所代表ソン・ヨンチャン
ムン・ヘジュン(サングクの息子)チェ・ビョンモ
キム・ジェヨル(新南航運代表)チュ・ジンモ
ペ・ジョンハ(シック派のボス)チェ・ミンチョル
クォン・オジェ(ドヨンの部下)ペ・ナラ
マ・チョルジン刑事クォン・ヒョク
イ・ヘジャ(ドンスの母)キル・ヘヨン

コンテンツ・配信サービス

■本作は、以下の配信で視聴できます。また、DVD-BOXやBlu-rayもリリースされています。
Hulu  見放題配信中 (Huluの月額料金だけで視聴)
Prime Video内のチャンネルサービスにて配信中
FODチャンネルChannel K
※2025年12月現在

以下は日本語字幕はありませんが、ドラマのメイキング映像です。俳優同士の距離感や現場の空気が伝わる映像です。

まとめ

ここでは、ストーリーとは別に、二人の俳優について感じたことを一言書き添えたいと思います。

キム・ヨングァン演じるソ・ドヨンの囚人服から、スカジャン姿でサンダルで歩く姿は、チンピラ風でもっさりとした感がありましたが、組織のNo1になった時の黒スーツ姿は、「悪なのにカッコいい」と感じさせます。また不遜な笑いや感情を露わにする瞬間の演技など、回を重ねる毎に印象的なキャラクターです。元野球選手という背景にある過去、冷徹で計算高い悪役の雰囲気、そして何よりもその圧倒的な存在感が、視聴者を引き込みます。

また、シン・ハギュン演じるハン・ドンスは、その心情の変化を見事に演じています。このドラマの中におけるドンスの真面目さが実は本当に怖いと思わせる演技は最後まで目が離せません。特に第1話で見せる手で握りつぶした蝿をドアガラスに擦り付けるシーンは、気持ち悪くもありました。見えすぎる悪よりも、潜在する自然な悪が炙り出る感覚に目が鷲掴みされます。

そんな二人の演技の深さも堪能してみてください。